先日もユーザーの方とお話をしていて、
「その後どうですか?ガンは再発してませんか」と話をしていてふと、
「ガンの告知も当たり前になったんだなあ」と思いました。
小林です。
20年くらい前までは、ドラマでも「ガンになったことはお父さんには秘密にしましょう」とか言って
病床である日突然、おとうさんが
「俺はあとどのくらい生きる?」
「えっ?」
「隠さなくていい。自分の体は自分が一番よくわかる」
「・・・。」
というシーンがありました。
今は、当たり前に告知されますし、知らせずに治療を進めることは、人権意識に反するというのが今の大勢だと思います。
タブーといわれているものも、あっという間に変わってしまうものなんだなあ。
でも、まだまだタブーの多い私たちのしごとの現場
死ぬことや老いることを忌み嫌い、避けようとする思想が大勢を占めているから、まだまだ「死」を論ずることがタブーなのかもしれません。「老人」扱いすることが失礼だと思ってしまうのかもしれません。
でもほんとは「老人」も「子供」も、ただ目の前の「○○さん」であるはずです。
だから、老人扱いすることも、死ぬことを想起させることも、タブーじゃないんじゃないか。
多くの学者や思想家が
「死を忘れた文明」「欲望の虜となった現代人」に警鐘を鳴らしてきました。
死を見つめて今をよく生きる事よりも、目先の遊興にひたってお金をたくさん使うことが、「死を忘れ、欲望の虜となった」状態ということなんでしょうか。
しかし、変化もあります。「ACP(アドバンスド・ケア・プランニング)」とか「人生会議」を普及しようということで、死に向き合う風潮が高まってきました。
「結局あなたはどうやって死にたいのよ??それによって提案するものが変わるけんね」
というやり取りがある方が、深くユーザーの暮らしを支える仕事になると思いませんか。
ただただ顧客が欲するサービスを機械的に提供するなら、専門職の資格なんかいりません。業務マニュアルだけあればいいんです。
そうでなくって、「人々の幸せを支える」のがカイゴーの理念であるし、福祉専門職の本当の使命であると思う。
多くの介護現場がそうなることを願って、今日もユーザーの人生「老いること」「死ぬこと」に向き合わせてもらいたいと思います。
いまの常識は普遍ではないし、まして目の前にいる「○○さん」にあてはまるとは限らない。
ということを忘れずにいようと思いました。
と、弊社従業員や、協働する専門職の方むけのつぶやきでした。
はっぴーの家ろっけんでは、こんな催しをやるそうです!
潮目がだいぶ変わってきたなあ