敬老の日のお祝い
「敬老会なんてうれしくない。年は取りたくない」 郊外の特別養護老人ホームで介護士をしていたころ、ホームの敬老会のお祝いのお席で高齢者から言われた言葉です。当時の私は、「お祝いして不満を言われたらやりきれない」と、返すべき言葉ももちませんでした。しかしその後も、その言葉がずっと心にひっかかっていました。
「年を取ることがうれしくないことなら、人間は生きれば生きるほど、苦しくなっていくことになる」「そんなのは嫌だ!」と悩みました。
しかし、悶々としながらも、介護士として高齢者と過ごす中で発見したことがたくさんあります。
いろいろあるけど、高齢者は、さりげなく笑顔で優しい!ということです。
働く若者が、元気でいられるように、皆さんが気遣ってくれ、つまらない冗談も笑ってくれているという事です。はじめは、自分が面白い話をして笑わせているのだ、思っていました。しかし、どんな下らない雑なユーモアでも、皆さんは笑って許してくれます。 若者頑張れと、背中を押されているように感じました。
共に過ごす人生の大先輩が笑顔だと、私もうれしい。元気になります。つまらないダジャレも、笑ってくれる方のおかげで、若者が元気になる。これはすごい!と気づきました。元気を得た若者は、家に帰って、妻や子ども、周りの人にやさしくなれます。
つまり、高齢者の笑顔は、日本をやさしくしてくれているのです。
さりげなくも、大きな力を持ったそんな心遣いは、若者にはなかなかできません。私も皆さんを見習って、早く大人になりたいと思います。
今日は、全国の介護施設でも、地域でも、敬老会が開かれていると思います。
年を取ることは、素直に喜べないかもしれないけれど、経験を重ねた皆さんの、智慧・かしこさ・気遣い・思いやりは、私の目標です。
そんな人生の大先輩のお年寄りの皆さんにあっては「年寄りなんて嫌だ」と言わずに、せめて今日だけは「年寄りを敬いなさい」と強気でいてください!
ところで、作家の井上靖氏が最後の作品を書き始めたのは、ガンを患い大手術の後でした。以来二年にわたり、病室で書き上げたのが名作「孔子」です。井上靖氏は語られました。
「晩年。人間として完成に近づいていく年代に最高にいいものを書ける」
氏にとって、一年一年、年を重ねるという事は、完成に近づくという意味を持っていました。
皆さんが、人間の完成に近づく一日一日を楽しめるように、カイゴーは働きます。カイゴーは人生の大先輩の皆さんと共にあります。
終わりに、アメリカの詩人ホイットマンの詩を送り、お祝いのことばとさせていただきます。
「若いものは美しい しかし老いたる者は 若者よりさらに美しい」
本日は、最高に美しい方々の敬老の日、本当におめでとうございます。
平成三十年九月十七日 敬老の日
有限会社カイゴーのスタッフ K・K